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0995-63-2672
開山 明治二十九年の伝統と安心

法城院について
九州八十八ヶ所百八霊場第四十三番札所

所在地

桜島が浮かぶ錦江湾の一番奥。美しい景観に囲まれた加治木町に法城院はあります。街中で交通の利便が良いということもあって小さなお寺ですが、参拝者が絶えることがありません。昔から「加治木の高野山」として皆様に親しまれております。交通量の多い場所ですが、一歩境内に足を踏み入れると、清浄な霊気に包まれ、心癒されます。
はじめてお参りされる方でも気軽にお参り出来る、ちょっとした悩みでも素直に話せる、そんなお寺であり続けたいと願っております。また九州八十八ヶ所百八霊場第43番札所でもあります。どうぞお参りください。

寺名高野山真言宗 護国山 法城院
住所鹿児島県姶良市加治木町朝日町99
TEL0995-63-2672
FAX0995-62-5751

御本尊

御本尊は、参拝者の願いを叶え、苦しみを取り除いてくださる不動明王(秘仏)です。  また、境内では無病息災・長寿祈願の「延命地蔵菩薩」、子供の安全・発育を願う「子安地蔵菩薩」などたくさんの仏様をお参りいただけます。

不動明王立像

廃仏毀釈の際に光背炎を紛失するも、迫力のある尊容を現在に伝えている。秘仏であるため、直接ご覧いただくにはご開帳の御日を待つよりほかにない。右手に剣、左手に縄を持ち愚かな迷いを断ち切って悪心の全てを縛り上げ、正道へと導く仏様。現在まで、参拝者の願いをかなえ続けて下さいます。
ご真言:「ノウマクサンマンダ バザラ ダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」この真言を唱えると、心の悩み、身体の苦しみが無くなり、すべての願い事が成就すると言います。

薬師如来坐像

仏師西田法雲師作 光背に島津製作所製の薩摩切子を配し美しいお姿の仏様である。薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏である。ご真言をお唱えいただくと厄払い、病気平癒、心の悩みの解決に御功徳を頂けます。
ご真言:「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」

網掛地蔵尊

かつて網掛川の水底より網にかかった木造の地蔵尊がありました。それを網掛橋の西に安置すると、なんでも願い事を叶えてくれる霊仏として信仰を集めました。その功徳があまりの高名となり、島津義久侯の持仏となり将軍地蔵として祀られたそうです。後の家久侯が鹿児島へ居城する際には共に移される事となりました。その後廃仏毀釈、2度の戦争により紛失したとされています。
現在まで法城院住職が導師となり毎年、網掛川地蔵尊の法会を承っていますが、ある時、前住職が霊夢により長く本堂入り口にて祀られていた木造の地蔵尊こそが網掛地蔵尊であると感得しました。以来本堂において供養を続けています。
ご真言:「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」

縁起

寺伝では慶長年間(1596〜1615)に島津義久の祈願所として創建されたと伝えられる。当時は護国山長楽寺普門院と言い、定光山應住寺正観寺、茂柏山眞藏院と共に本府大乗院の末寺として信仰を集めていた。しかし明治の廃仏毀釈によって廃寺寸前まで追い込まれる。その後本府大乗院の再興である鹿児島市最大乗院の大仙和尚が明治29年(1896)に説教所として再興した。その後大正3年(1914)村田法典和尚が高野山開創千百年を契機に独立し中興一世となった。

住職

法城院住職 小牟田 昌彦(しょうげん)と申します。
高野山真言宗の僧侶です。一人の人として大人として僧侶として、皆さんと一緒に泣き、笑い、苦しみ、今の世の中を精一杯生きてお大師さまの御教えお伝えしたいと思います。

法城院住職 小牟田 昌彦(しょうげん)

アクセスマップ

  • 国道10号線沿い、寺前バス停下車
  • 加治木駅より徒歩5分
  • 九州自動車道加治木インターより車で5分
  • 鹿児島空港より車で15分
  • 駐車場は国道10号線、当院右側にあります。
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